学問として哲学を学ぶことが将来役に立つ理由

こんにちはMasakunです

 

日本人に最も誤解されている概念の1つとして、「哲学」が挙げられるのではないかと思います。

多くの日本人は、哲学の本質が「知を求めること(philosophy)」であることを知らず、論理的な論証過程なしにいきなりものごとを結論づける「価値観」のような相対的な概念であると考えています。そういった、極度のプロタゴラス的な考え方こそが「哲学」一般だと考えらている現状、「哲学なんて何の役にも立たない」と考える人が多いような気もします。

そこで、特に哲学を学ぼうと志した人や、そもそも哲学とは何かをあまり知らない人向けに「哲学的教養」を学ぶメリットについて自分の考えを記します。

その前に、一旦哲学を定義しましょう。哲学とは、「知を求める」ことといった様に、この世・森羅万象(人間の内部現象や自然現象、社会現象)の「真理」を求める営みのことです。また、科学(Science)とは哲学的な知を求める営みが、科学的方法と呼ばれる実験や統計データなどを用いて「証明」する手法が取られた、いわば哲学の進化形であり、本質的には哲学に包含されます。

ではさっそく「なぜ哲学が役に立つか」についてです。

1.「正確な判断・分析」を行う力が身につく

皆さんは自宅に訪問してきた怪しい自称占い師にうながされて、50万の壺を即決で買ってしまう人間ですか?

恐らくそうではないでしょう。

なぜ、その50万の壺を買わないか。それはあなたに最低限度の「判断力」があるからです。

哲学はこの「判断力」をより強化します。

 

哲学はアリストテレスの三段論法によって形式化されたように、「論理整合性」を重視し、また、デカルトが「我思うゆえに我あり」といったように「存在が確実なもの」から論理的な過程を経て何が正しいか、何が間違っているかを考える営みです。

 

逆に、ほとんどの場合で思考停止し自分の頭で考えることを放棄している人間はたくさんいますが、哲学的な思考法は彼らのようないわゆる「カモ」からの脱却を手助けしてくれます。

 

哲学が生まれる前にそこにあったのは神話でした。宗教を否定するわけではありませんが、神話による物事の説明は、現代の私たちから見ればいささか幼稚にみえるものです。例えば、「カミナリが落ちる理由」は、古代のある地域の神話では「神様が浮気しておこった」のような説明がなされていました。これに関しては、特別哲学を学ばなくても小学校から科学に触れ合ってきたみなさんにとっては「恐らく違うだろう」ということが分かるはずです。

2.多くの概念を知る

言葉(記号)そのものには価値はありません。しかしながら、言語学においてシニフィエ、シニフィアンと呼ばれるように、コトバは概念とセットです。

哲学を学んでいくと、構造(主義)、唯物(論)、観念(論)、合理主義、実存主義など難しい言葉沢山でてきますが、それらはただ単に記号が「難しい」だけではなく、その記号がはらむ概念も抽象的で、体系を持つものなのです。したがって、哲学的な概念のボキャブラリーが増えると、幼稚園児のようにただ目の前にある具体的個物だけではなく、抽象度の高い概念を理解する悟性(Understanding)や、目の前の具体的個物を抽象化して、その「本質」を見抜くことにつながります。

3.思考が広く、深くなる

哲学は先ほど言ったようにすべての学問の祖です。経済学、社会学、政治学、法学などの社会現象のメカニズムを解明する社会科学や、物理学、生物学、化学などの自然現象のメカニズムを解明する自然科学、そして心理学や言語学などニンゲンの現象を解明する人文科学(Humanities)は全て哲学の発展形です。したがって、哲学を学ぶことはあらゆる学問の基礎を学ぶことであり、それは深く広い思考に寄与することでしょう。

 

入門者にお勧めの本(中学生でもわかります)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

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