自分が知っていて、相手が知らない言葉(概念)はやっかいである。

ここ3か月ほど、私は相手が目上・初対面であるとき、相手の無知蒙昧さが露呈しないようにすることに気を遣うべきか悩み続けてきた。相手が言葉選び、ワードチョイスは実に悩ましいものだ。それは、相手に知識や教養がなく、相手の知らない言葉を自分が使ってしまったとき、その瞬間不快になるタイプの人間がいるからだ。

 

(本来はより正確かつ端的な表現のための)小・中学生には少し難しい概念や「〇〇ってご存知ですか?」のようなフレーズは、特に無知無学な、相手を不快にさせてしまう可能性があり、相手が「おだてるべき」立場であった場合なおさらやっかいだ。

というわけで、自分なりに考え、答えを出した「無知蒙昧な人間(特に上司)に気を遣うべきか」という主題について綴ってみる。

例えば、ある現象の説明のために、ナッシュ均衡の概念を伝達する必要が生じ、「ナッシュ均衡」という言葉を伝達の道具として伝えるケースを考える。この時もし、相手がナッシュ均衡を知らないとコミュニケーションが成立しないので「ナッシュ均衡ってご存知ですか?」のようなフレーズの必然性が生じるが、相手に「知らない」と答えさせてしまったとき、それを不快に思う人間もいる。そこで、相手の教養を確認する質問はしても良いのかの判断が難しくなる。あるいは、冗長かつ曖昧にはなるが初めから小学生レベルでも理解できるダラダラした文章で説明することもできるが、相手が知っている場合はそのダラダラした文は無駄であり、また、逐一難解な言葉をやさしい言葉で言い換えて説明していたらコミュニケーションは非効率的・不正確なものになってしまう。

 

ただし、よくよく考えてみると、そのようなこと(自分の無知をさらけ出すこと)で腹を立てる人間とは関わらない方が良いのではないか?そんな器の小さな人間を想定して常に気を使う必要はないんじゃないかと思った。

結論をいってしまうと「たとえ相手の無知無学が露呈してしまうような状況が想定されても遠慮しない」でfin

(相手にとって)難しい言葉や

「~って知ってる?」

「~って知ってますか?」

「~って分かりますか?」

で腹を立てるような人間(や彼が所属しているコミュニティ)とはあまり関わらない方がいいということである。むしろ、器の小さい人間を見分ける試金石になってちょうどいいとさえ思えてくる。

 

知らないことを「知らない」といえる寛大な人間こそ、付き合うべき人間であるのだから