こんにちは、Masakunです
本日は、哲学というものについて考えを述べます。
みなさんは、哲学という言葉を聞いて何を思い浮かべますか?
よく、哲学という言葉を耳にすると
人生、愛、など「教え」に関する主題や命題を哲学であるという人がいますが
私はそれらの認識を哲学に関する誤解であると考えます。
哲学とは何か。Philosophyの訳語・和製漢語である。
哲学という名辞(コトバ)は、西周という明治時代の啓蒙思想家によってPhilosophyから訳された和製漢語です。
もちろん言葉の定義は人それぞれなので、主観的な定義を否定するわけではありませんが
私の個人的見解として、Philosophyの訳語である哲学概念に、そういった「教え」という意味合いを含むのはどうかと思います。
哲学とは、知を愛し、求めることなのです。
哲学とは、Philosophyの訳語です。
つまり、sophia(知)をphilo(愛する)ことですね。
~フィリアのことを〇〇愛好家という様に、元の意味を考えるのであれば、philosophyとは知を追い求めることなので、「教え」のような直観的、主観的なものではありません。
また、知とは、「感想」や「思い」とは異なり、客観的な正しさという性質があります。
したがって、もし「人生哲学」のような日本語が
論証を経ないで「いかに生きるべきか」という、べき論的な意味を持つのであれば、それは哲学ではないと思います。
しばしば、こういった「教え」にまつわるモノを東洋哲学といったります
本来のPhilosophy概念である西洋哲学と対比させながら考えてみましょう。
東洋哲学と西洋哲学の違い【教えと学問】
東洋哲学
東洋哲学とは、先ほども言った通り、「教え」を元にしたものです。
いわゆる東洋哲学では、理性(ロゴス)によって物事を客観的に分析したり、論理的な観点を持ったりということをせず、いきなり本質にせまります。
すなわち、ここでいう「教え」とは、各個人が思うべき論であり、その過程に論理的なプロセスを持ちません。
100人いれば100人の教えがあり、客観的に物事を解明しようというものではないのです。
西洋哲学
一方で、本来のPhilosophy概念である西洋哲学に関しては、そうではありません。
「〇〇は▼▼である」という命題を主張するに際して、何よりも「論理性」を重視します。
その用例は、アリストテレスによる論理学における三段論法など、命題論理の検証に重きを置きます。
そういった意味で、「学問」という意味合いが大きく、西洋哲学とはまさしく「知」を求めるものです。
また、西洋哲学・Philosophyでは伝統的に二元論的な考えをよく行います。
例えば、普遍論争における実在論・唯名論などが挙げられます。
普遍論争は、普遍概念は存在するかという「普遍⇔個物」の問いに対するバトルです。
個物とは中世において自明的に存在すると考えられた個別的な事物のことで、例えば、フィレンツェに住む商人のミケーレ氏とか、そのミケーレ氏の邸で飼っている犬のフェリスとか、ミケーレ氏の邸内に生えている柏の大樹などである。
- 実在論:プラトンのイデア論に代表されるように、普遍概念が個物を規定していると説きます
- 唯名論:個物は個物であるというアリストテレス的な立場です。
哲学における、東洋・西洋の違いは
違いをひとことでいうと
「教え」と「学問」
であると考えます。
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東洋哲学(哲学?)が、いきなり論理的観点を放棄していきなり本質に迫ろうとするにに対し、
西洋哲学(Philosophy)は論理的観点から、物事を分析し、本質に迫ります。
哲学と科学
そういった意味で、Philosophyの訳語として作られた「哲学」という名辞には、論理的観点に立つ概念こそが正しいといえます。
さらに、この哲学における論理的観点による世界の解明、つまり論理実証主義は、近代以降発達した「科学」へもつながります。
本来哲学とは、経済や社会、言語、物理法則、生物にこだわらず「世の中の真理を知る」という意味で学問一般のことを指していました。
ゆえに、現代の経済学、社会学、言語学、数学など様々な学問(science = 科学)は「哲学」にルーツを持つものなのです。
例えば、「経済」という対象に対しして、哲学的思考によってその本質を探る行いは
経済学として市場原理の基体系化され独立(?)しました。
現代の哲学
もともとすべての学問を指していたはず哲学のうち、多くは諸科学として「経済学」のように独立してしまいました。
現代では、そういった残ったものが「哲学」として扱われます。
そんな「残ったもの」には、人間による世界の認識を扱う認識論や、プラトンのイデア論に関係する、実在論などがあります。
まとめ
まとめとして、哲学とは「教え」のような価値観に基づくべき論ではなく、理性による論理的な世界の解明活動のことです。
哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。
byルートヴィヒ