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ザ・ゲームのパクリ本「僕愛」と恋愛工学wが色々と酷い

なんだこのパクりは!!!!

以下アマゾンより

2017年7月19日
ザ ゲームとミステリメソッドの劣化コピーときいてよんでみましたが、なんというか酷すぎて驚きました。
筆者が自分で考えてたり試したルーティンというわけでもなく、師匠みたいな人が使うテクニックはザ ゲームに出てくるまんま、嘘つきゲームやDHVの解説図とかまで丸写しですよ。
2016年10月11日
他の方々がおっしゃられているように,この本はthe gameの劣化版です.
内容も薄く,読み物としても全く面白くありません.
今まで散々と語られつくしているナンパ理論を新たに「恋愛工学」と名付けただけの本です.
個人的にはナンパ技術の向上を志す人々は「モテる技術」と「THE GAME」で事足りると思います.
2017年2月1日
盗作なのになぜか、
「タイムコンストレイントめぞっど」
みたいな気持ち悪い名前をつけて、

「自分で編み出した風」
を演出するあたりがものすごく気持ち悪い
なんだこれは!!!!
THE GAMEのパクリ本をさも自分で創作したかのように書く、そのおこがましさは評価できる。
とりあえずニールストラウス・ミステリーに土下座してほしい笑
ストーリーもほぼ一緒。使用されている技術は、引用の通り名前だけ変えて「自分で編み出した風」を演出しつつ中身は一緒。う~ん、すごい!

「頭の良さ」の社会学ーIQ120が最も「頭がいい人」と評価されやすい

IQとは知性レベルの偏差値(平均値50、標準偏差10の値)を倍にしたもの。

IQの平均は100、IQ120は偏差値で言うと60くらいの人々

大衆から、頭がいいと最も認識され易いIQは120

IQ100の人からすれば、IQ140以上は「何言ってんだこいつアホじゃね?」となる

IQが離れすぎると会話が成立しない。IQ140の基準で「当たり前にわかる」概念・判断・推理がIQ100にとっては摩訶不思議な与太話にきこえる

但し、分かり易い実績があればIQ140のいってることでも「なんかわからんけどすごい」と認識する。

IQ(偏差値)は母集団の中での相対的な指標

→小学生の集団でのIQ120と学者・コンサルタント集団でのIQ120は異なる。

→所属するコミュニティ・組織の中で相対的に120になるように意図しよう

 

IQ120を超える人が、大衆迎合的に頭良く見せたいのであれば、120程度まで知性水準を意図的に下げることが合理的

 

ソクラテスの「無知の知」とレヴィナスの「他者論」

他者論って、要はあらゆる主題において、どんな試行錯誤・実験・観察を繰り返して真理(命題)に自分が到達したと思いこんでも、「その命題が間違っている可能性」というのも「自分の理解・認識の範疇から外れたsomething to knowの存在」を永遠に否定できない。自分の認識の外側に必ず何か(他者)があるから、永遠に「分かる」ことはできなというものだよね。

 

これって要はソクラテスが言った「無知の知を持ってるから俺賢いぜ」みたいな話に繋がるのかなと思った

知識には2種類ある:「概念と情報」汎用性が高い知識は「概念」だから学問を学ぼう

知識の定義は?

知識の定義は「記憶」と同義で差し支えないと思う。辞書によると、「ある事柄について知り得たこと」とあるのて、記憶の中でも「宣言的記憶」といえる。

二分して捉えてみた

私は知識を以下のように二分できると考えた。具体的・個別事象的知識である「情報」と抽象的・普遍的知識である「概念」

「ジンバブエでハイパーインフレになり100兆ジンバブエドルでバナナ1本しか買えなくなった。」のような具体的事実である情報

経済、市場、インフレとは何か?をあらわす概念

重要度は「概念」が高く、そのまな板の上で調理される「情報」

私は知識としての概念に2種類の働きがあると考える

1つは悟性・理解である。「言葉(記号・シニフィアン)」とセットで概念的知識があることで、周りの個別事象をある概念に昇華し本質的な理解を行うことできる。すなわち、概念を学ぶことで洞察力が身につく。

1つは推理・推論である。概念を知るということはある概念を主語としたいくつかの命題(言語化された判断内容)を知ることにもなる。ある命題はアリストテレス的論理的思考でいう大前提になるため、推理・判断力

情報ばかり溜め込んで、単なるクイズ王になってしまい無駄

重要なのは「思考の道具」になる概念を養うこと。して概念を養う最短の方法は学問を体系的に学ぶことだと思う。

プロジェクトエコノミーを浸透させれば日本国GDPは上がる

プロジェクトエコノミーを浸透させれば、日本のGDPは上がるのではないか?

現状の日本国が抱える課題として、低迷している経済成長が挙げられる。その背景にあるのは、低い労働生産性、適切といえない人材配置(企業内というミクロな単位でも労働市場というマクロ単位でも)、そして根本的な原因の部分に労働市場の流動性の低さがある。

そんな硬直した労働市場の流動性を上げるための方向性こそ「プロジェクト・エコノミー」であると思う。プロジェクト・エコノミーという概念は、会社単位ではなくプロジェクト単位で人材が流動する経済として定義しよう。

IT業界やコンサルティング業界に関連させていえば、このプロジェクト・エコノミーは、製造業や航空業など巨大な資本を必要とする業界には適応されないと思われるかもしれない。しかし、例えば、JALが行う「フライト業務」以外にも「人材育成」「事業企画」「M&A」など様々な業務は数億円が必要な飛行機という資本を必要としない。そのため、そういった労働集約型な業務 部分からプロジェクトエコノミーを浸透させることができる。

結論、私は我が国が目指す経済的な方向性を「プロジェクトエコノミー」に置くべきだと思う。

これからは、どうすればプロジェクト・エコノミーを浸透させることができるのか?を考えて行きたい

言葉は便利な概念の入れ物

概念は思考の道具として役に立つ

しかし、概念を言葉という箱に入れず、基準もわからずあいまいなままにしておくのは良くない

「学問を学ぶ」とは物事を知ることではなく、観る目を養うこと

学問を学ぶということは、物事を知ることではなく物事を観る目を養うことだと思います。
抽象度が高い分、何にでも応用できてて手に取りやすい「具体的事実」の集積よりも役に立つのに、抽象的な概念を用いて物事を洞察したり分析する教育を受けていないから人が多いから有用性を理解されません。

原因として、これは公立小中学校の教員の教養水準がそもそも低く、「勉強=丸暗記ゲーム」という観念が浸透しているためだと思います。私の小中学校の教育も知識人か大衆かといわれればはっきり言って「大衆」に分類される人々でした。

ロジカルシンキングの誤解

アリストテレス

ロジカルシンキング(Logical Thinking)とは何であろうか。「定義は人それぞれ」は置いといて、厳密な意味では、知の巨人アリストテレスが始めた論理学(Logic)だ。

一般大衆のロジカルシンキング

しかし、一般大衆がイメージするロジカルシンキングは少しかけ離れたものがある。大衆向けの本に書かれる「ロジカルシンキング」にはMECE(漏れなくダブりなく)やピラミッドのような概念が登場するが、それらLogicでも何でもない。

本来、Logicとは三段論法に代表されるように、「いくつかの前提から結論を導く」形式のことだ。ここでは前提も結論も抽象すれば命題(判断内容)になる。

演繹ダヨ

帰納法、つまりデータ観察によって物事を一般化する(例:1000羽のカラスを観察したら黒かった。→ゆえに【全ての】カラスは黒い)とは違う。Logicは演繹、(もし)全ての前提が正しければ、結論も正しい。これがLogic。