学問を学ぶということは、物事を知ることではなく物事を観る目を養うことだと思います。
抽象度が高い分、何にでも応用できてて手に取りやすい「具体的事実」の集積よりも役に立つのに、抽象的な概念を用いて物事を洞察したり分析する教育を受けていないから人が多いから有用性を理解されません。
原因として、これは公立小中学校の教員の教養水準がそもそも低く、「勉強=丸暗記ゲーム」という観念が浸透しているためだと思います。私の小中学校の教育も知識人か大衆かといわれればはっきり言って「大衆」に分類される人々でした。
学問を学ぶということは、物事を知ることではなく物事を観る目を養うことだと思います。
抽象度が高い分、何にでも応用できてて手に取りやすい「具体的事実」の集積よりも役に立つのに、抽象的な概念を用いて物事を洞察したり分析する教育を受けていないから人が多いから有用性を理解されません。
原因として、これは公立小中学校の教員の教養水準がそもそも低く、「勉強=丸暗記ゲーム」という観念が浸透しているためだと思います。私の小中学校の教育も知識人か大衆かといわれればはっきり言って「大衆」に分類される人々でした。
ロジカルシンキング(Logical Thinking)とは何であろうか。「定義は人それぞれ」は置いといて、厳密な意味では、知の巨人アリストテレスが始めた論理学(Logic)だ。
しかし、一般大衆がイメージするロジカルシンキングは少しかけ離れたものがある。大衆向けの本に書かれる「ロジカルシンキング」にはMECE(漏れなくダブりなく)やピラミッドのような概念が登場するが、それらLogicでも何でもない。
本来、Logicとは三段論法に代表されるように、「いくつかの前提から結論を導く」形式のことだ。ここでは前提も結論も抽象すれば命題(判断内容)になる。
帰納法、つまりデータ観察によって物事を一般化する(例:1000羽のカラスを観察したら黒かった。→ゆえに【全ての】カラスは黒い)とは違う。Logicは演繹、(もし)全ての前提が正しければ、結論も正しい。これがLogic。
経済学においては、所得=消費+貯蓄である。
近年、日本は言わずもがな経済停滞に見舞われている。
経済停滞を打開する方法を思いついた。
その名も「貯蓄だけ課税」
通常、所得税は、1年間の所得のうち、消費した分にも、貯蓄した分にも課税される。
これを変更し、「貯蓄」にだけ課税し、「消費」には課税しないとしたらどうであろうか
「消費」された分には課税されないので、「お金を使いたい」というマクロなインセンティブ、つまり需要が激的に伸びるんじゃないだろうか
もちろん、短いスパンで観れば「税収」は減ってしまう。しかし、「消費」された分というのは、ぐるぐる回って結局だれかの懐にはいるわけだ。つまり、税収は減らないし、むしろ増える。
これを各自に津するためには、企業の内部留保とならないように、法人税にも「内部留保した分」にだけ課税にしよう!
しょうじきこれだけじゃ全然詰まってないとは思うが、この「貯蓄にだけ課税」は詰めれば素晴らしいものになると思う。
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