所得税を廃止し「貯蓄だけ課税」を施行すれば内需up?

所得=消費+貯蓄

経済学においては、所得=消費+貯蓄である。

近年、日本は言わずもがな経済停滞に見舞われている。

経済停滞を打開する方法を思いついた。

その名も「貯蓄だけ課税」

しすてむ

通常、所得税は、1年間の所得のうち、消費した分にも、貯蓄した分にも課税される。

これを変更し、「貯蓄」にだけ課税し、「消費」には課税しないとしたらどうであろうか

「消費」された分には課税されないので、「お金を使いたい」というマクロなインセンティブ、つまり需要が激的に伸びるんじゃないだろうか

もちろん、短いスパンで観れば「税収」は減ってしまう。しかし、「消費」された分というのは、ぐるぐる回って結局だれかの懐にはいるわけだ。つまり、税収は減らないし、むしろ増える。

ないぶりゅうほたいさく

これを各自に津するためには、企業の内部留保とならないように、法人税にも「内部留保した分」にだけ課税にしよう!

 

しょうじきこれだけじゃ全然詰まってないとは思うが、この「貯蓄にだけ課税」は詰めれば素晴らしいものになると思う。

ADHDの人はむしろガヤガヤしてた方が集中力向上する

Attention D Hyperactivity Disorder

注意欠陥多動性障害、すなわちADHDを抱える私は日ごろから生活に問題を抱えてる。

症状は「ギリギリになってやる習慣」などいろいろあるが、特に深刻であることが、「一つのことを持続させる」ことが苦手で、読書や作業、課題などが捗らないことである。

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「このくらい分かるだろう」という基準が高まるから、話が通じなくなる

知能指数の差

よく「IQが20離れると話が通じなくなる」と言われます。IQの意味合いや定義は置いといて、なぜこれが妥当かについて考えました。

結論から言うと、①頭のいい方が持つ「これくらい分かるだろう」の基準が高く、説明不足になるから②思考の形態として、頭のいい方は抽象的思考よりでと良くない方は具体的思考によって、「話が通じない」現象に見舞わられるのではないかと推測します。

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学問として哲学を学ぶことが将来役に立つ理由

こんにちはMasakunです

 

日本人に最も誤解されている概念の1つとして、「哲学」が挙げられるのではないかと思います。

多くの日本人は、哲学の本質が「知を求めること(philosophy)」であることを知らず、論理的な論証過程なしにいきなりものごとを結論づける「価値観」のような相対的な概念であると考えています。そういった、極度のプロタゴラス的な考え方こそが「哲学」一般だと考えらている現状、「哲学なんて何の役にも立たない」と考える人が多いような気もします。

そこで、特に哲学を学ぼうと志した人や、そもそも哲学とは何かをあまり知らない人向けに「哲学的教養」を学ぶメリットについて自分の考えを記します。

その前に、一旦哲学を定義しましょう。哲学とは、「知を求める」ことといった様に、この世・森羅万象(人間の内部現象や自然現象、社会現象)の「真理」を求める営みのことです。また、科学(Science)とは哲学的な知を求める営みが、科学的方法と呼ばれる実験や統計データなどを用いて「証明」する手法が取られた、いわば哲学の進化形であり、本質的には哲学に包含されます。

ではさっそく「なぜ哲学が役に立つか」についてです。

1.「正確な判断・分析」を行う力が身につく

皆さんは自宅に訪問してきた怪しい自称占い師にうながされて、50万の壺を即決で買ってしまう人間ですか?

恐らくそうではないでしょう。

なぜ、その50万の壺を買わないか。それはあなたに最低限度の「判断力」があるからです。

哲学はこの「判断力」をより強化します。

 

哲学はアリストテレスの三段論法によって形式化されたように、「論理整合性」を重視し、また、デカルトが「我思うゆえに我あり」といったように「存在が確実なもの」から論理的な過程を経て何が正しいか、何が間違っているかを考える営みです。

 

逆に、ほとんどの場合で思考停止し自分の頭で考えることを放棄している人間はたくさんいますが、哲学的な思考法は彼らのようないわゆる「カモ」からの脱却を手助けしてくれます。

 

哲学が生まれる前にそこにあったのは神話でした。宗教を否定するわけではありませんが、神話による物事の説明は、現代の私たちから見ればいささか幼稚にみえるものです。例えば、「カミナリが落ちる理由」は、古代のある地域の神話では「神様が浮気しておこった」のような説明がなされていました。これに関しては、特別哲学を学ばなくても小学校から科学に触れ合ってきたみなさんにとっては「恐らく違うだろう」ということが分かるはずです。

2.多くの概念を知る

言葉(記号)そのものには価値はありません。しかしながら、言語学においてシニフィエ、シニフィアンと呼ばれるように、コトバは概念とセットです。

哲学を学んでいくと、構造(主義)、唯物(論)、観念(論)、合理主義、実存主義など難しい言葉沢山でてきますが、それらはただ単に記号が「難しい」だけではなく、その記号がはらむ概念も抽象的で、体系を持つものなのです。したがって、哲学的な概念のボキャブラリーが増えると、幼稚園児のようにただ目の前にある具体的個物だけではなく、抽象度の高い概念を理解する悟性(Understanding)や、目の前の具体的個物を抽象化して、その「本質」を見抜くことにつながります。

3.思考が広く、深くなる

哲学は先ほど言ったようにすべての学問の祖です。経済学、社会学、政治学、法学などの社会現象のメカニズムを解明する社会科学や、物理学、生物学、化学などの自然現象のメカニズムを解明する自然科学、そして心理学や言語学などニンゲンの現象を解明する人文科学(Humanities)は全て哲学の発展形です。したがって、哲学を学ぶことはあらゆる学問の基礎を学ぶことであり、それは深く広い思考に寄与することでしょう。

 

入門者にお勧めの本(中学生でもわかります)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

無知蒙昧な人間(特に上司)に気を遣った表現にすべきか

自分が知っていて、相手が知らない言葉(概念)はやっかいである。

ここ3か月ほど、私は相手が目上・初対面であるとき、相手の無知蒙昧さが露呈しないようにすることに気を遣うべきか悩み続けてきた。相手が言葉選び、ワードチョイスは実に悩ましいものだ。それは、相手に知識や教養がなく、相手の知らない言葉を自分が使ってしまったとき、その瞬間不快になるタイプの人間がいるからだ。

 

(本来はより正確かつ端的な表現のための)小・中学生には少し難しい概念や「〇〇ってご存知ですか?」のようなフレーズは、特に無知無学な、相手を不快にさせてしまう可能性があり、相手が「おだてるべき」立場であった場合なおさらやっかいだ。

というわけで、自分なりに考え、答えを出した「無知蒙昧な人間(特に上司)に気を遣うべきか」という主題について綴ってみる。

例えば、ある現象の説明のために、ナッシュ均衡の概念を伝達する必要が生じ、「ナッシュ均衡」という言葉を伝達の道具として伝えるケースを考える。この時もし、相手がナッシュ均衡を知らないとコミュニケーションが成立しないので「ナッシュ均衡ってご存知ですか?」のようなフレーズの必然性が生じるが、相手に「知らない」と答えさせてしまったとき、それを不快に思う人間もいる。そこで、相手の教養を確認する質問はしても良いのかの判断が難しくなる。あるいは、冗長かつ曖昧にはなるが初めから小学生レベルでも理解できるダラダラした文章で説明することもできるが、相手が知っている場合はそのダラダラした文は無駄であり、また、逐一難解な言葉をやさしい言葉で言い換えて説明していたらコミュニケーションは非効率的・不正確なものになってしまう。

 

ただし、よくよく考えてみると、そのようなこと(自分の無知をさらけ出すこと)で腹を立てる人間とは関わらない方が良いのではないか?そんな器の小さな人間を想定して常に気を使う必要はないんじゃないかと思った。

結論をいってしまうと「たとえ相手の無知無学が露呈してしまうような状況が想定されても遠慮しない」でfin

(相手にとって)難しい言葉や

「~って知ってる?」

「~って知ってますか?」

「~って分かりますか?」

で腹を立てるような人間(や彼が所属しているコミュニティ)とはあまり関わらない方がいいということである。むしろ、器の小さい人間を見分ける試金石になってちょうどいいとさえ思えてくる。

 

知らないことを「知らない」といえる寛大な人間こそ、付き合うべき人間であるのだから

 

 

 

抽象(Abstract)と曖昧(Vague)の誤用

こんにちは、Masakunです

抽象化や抽象的(Abstract)に考えることを、単に「曖昧(Vague)に考える」ことと混同している方が多いと感じたため、執筆します。

抽象化思考の本当の意味は、単に「あいまいにすること」ではなく、本質をとらえ、マクロな観点から洞察することです。また、抽象化思考は身近に起きる事象を抽象度の高い概念にとらえることでもあります。そういった概念のストックは「学問を学ぶこと」によって得られます。また、福澤諭吉が「天は人の上に人を作らないけど、学問を学んだかによって貧富の差が生まれる」といったように、抽象化思考や概念化思考を行う能力はConceptual Skillとも呼ばれ、経営者には必須のスキルとなります。

http://www.educate.co.jp/glossary/3-education/112-katzrobert-l.html

抽象化スキルが、生死を分ける時代に
http://nedwlt.exblog.jp/18463890/

「抽象的な説明」「曖昧な説明」

実は両者が意味するとこは大きく異なります。

「抽象」という概念が示すことは、あらゆる個物に共通した性質を抜き出し、概念化すること(されたもの)である

例えば、

サル、シカ、ライオン、ヒトは「動物」という概念として抽象できる

これを説明すると、「動物界に分類される生物」となる

Aさん、Bさん、Cさん、、、という多様な人間も「人間」という概念として抽象できる

これを説明すると、「(社会的なありかた、人格を中心にとらえた)人。また、その全体」となる

このように、「抽象的」な説明はそれが示す概念や範囲(そのコトバによって何を示したいか)が明確である

 

一方で、「曖昧」という言葉が示すものは「抽象」とはかけ離れている

曖昧さとは単に解釈や誤解の余地が十分にあるような、「解釈を断定しにくい」ことであると思う

 

例えば、人間を「俺たちみたいなやつ」という説明すれば、それは曖昧な説明である

「俺たちみたい」という説明には、基準が不明瞭な「俺たち」「みたい」という語句が使わているため、話者が何を示したいのか客観的に判断しにくい

したがって、このような“曖昧”な説明は避けるべきであろう

「人生哲学」は哲学(Philosophy)ではない。では哲学とは何か?

こんにちは、Masakunです

 

本日は、哲学というものについて考えを述べます。

みなさんは、哲学という言葉を聞いて何を思い浮かべますか?

 

よく、哲学という言葉を耳にすると

人生、愛、など「教え」に関する主題や命題を哲学であるという人がいますが

私はそれらの認識を哲学に関する誤解であると考えます。

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「難しい言葉を使うこと」には意味がある。端的かつクリティカルな表現のために

こんにちはMasakunです

本日は言葉の表現について思うことを、語りたいと思います。

皆さんは「難しい言葉(=抽象、具体、概念、観念、意思決定、など漢語的な表現・訳語)」を使うことをどのように考えますか?

このまえ、初対面の方(30代)と話している時

和製漢語を使って話ていたら

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芸能界の経済構造はどうなってるの?「芸能経済学」を考えてみた

こんにちはMasakunです

いきなりですが、最近「芸能界」という社会に興味を持つようになり

ふと、芸能人、芸能事務所、スポンサー、番組作成会社など様々な主体がどのような関係性の上で「芸能界」という社会構造を作り上げているのだろうと疑問に思いました。

芸能界とは、いわば芸能人がもつ「芸能(ルックス、面白さ、ユーモア、演技力etc…)」を労働力としたいわば労働市場なわけで、経済構造の分析や、芸能という財を考えた市場のメカニズムを考えることが可能なのではと思い

芸能界を経済学的に考えたらどうなるのか

という好奇心がMasakun生じました。そして、

「芸能経済学」

でGoogle検索をしても何も出てこなかったため、ここに「芸能経済学」という学問を定義し、自分の考えをまとめようと思います

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経済学を学ぶことで「合理的思考法」が身につく理由は“経済人仮説”があるから

こんにちはMasakunです。

本日は私も学び、研究している経済学についての話です。

経済学を学ぶメリットってなんだろう

経済学を学ぶメリットとはなんでしょうか?

私はそのメリットを大きく分けて3つあると考えます。

  • 経済構造の体系的理解
  • 経済・社会情勢の理解力
  • 経済活動(買う、作る、売る、働く、雇う、投資するetc…)などにおける合理的意思決定

そして特に、3つめに挙げた「合理的意思決定」に役立つのではないかと思います。

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